「意識(思い込み)の壁」を越える Topics


 あきらめることで、私たちは「意識の壁」を越えます。古い話になりますが、私がかつて勤務していた病院で、心臓の血管(冠動脈)における「攣縮」を最後まで認めない医師がいました。攣縮というのは、痙攣性の収縮活動です。もっと簡単に言うと、血管が病的に細くなる状態です。私も術中に経験がありましたし、当時は心臓手術のおいて血管の攣縮が起こることが報告されており、それを認めないことにはどうにも対応できない事象がいくつもありました。

 しかし、その医師は絶対に認めません。あくまでも「心臓の血管は太さが決まっている」と主張しました。こういう意固地な姿勢が医療現場に根強くあることで、医学は進歩をとげづらいのでしょう。そこに事象が存在するわけですから、まずは「事実の認定」からスタートするのが本筋です。そこにあるのは、医師としての、科学者としての矜持です。誇りとかプライドと訳される矜持ですが、自分を信じることは大切である反面、その思いが強すぎると「過信」へとつながります。

 プライドは目の前に起きている異常事象を「見ないふり」させてしまいます。これが「意識の壁」です。これがある限り、見ようとしないし、考えようとしません。自分の知見の枠外にある理解の及ばない事象について、「これは自分の持っている知識では理解できない」として、判断したくないのです。拙書「人は死なない」でのべましたが、勤務医時代、常識では不可解な話を多くの患者さんやその家族たちから聞きました。医師仲間から、外科手術中に全身麻酔で寝ている患者さんの体が離脱して手術室を歩き回っていたというエピソードを聞いたこともありました。

 手術後、患者さんにその時のことを聞くと、自分の手術の様子を克明に覚えていたそうです。実際に体験した人たちが皆、強いストレスや肉体的苦痛によって意識が混乱する「せん妄状態」にあったのではないか、あるいはちょっとおかしな人なのではと言われても、私にはその言葉のほうが理解できません。こういうケースで大切なのは、あきらめるということではないでしょうか?「自分たちにはわかり得ない未知の領域がかなり存在している」そう考え、理解することで、あきらめるのです。

 わからない世界が確実に存在していると、明らかに見極めるのです。すると、意識の壁を越えられます。ソクラテスが言うところの「無知の知」を体得し、意識レベルが上がるのです。当たり前という意識を捨てる、常識だろうという考えを捨てる。捨てることで、ありのままにものが見られるようになることと思います。

(「今を楽しむ」矢作 直樹 2017.7.12初版 ダイヤモンド社より引用)

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