プロフェッショナル(熟練)と脳の回路 Topics

職人

脳の二重価値判断構造

 脳への入力情報を視床‐扁桃体での粗い情報処理に基づき、快・不快を判断する視床‐扁桃体の直接経路が「価値の一次判断系」である。この後、この入力情報が大脳皮質の認知情報処理系でさらに時間をかけて緻密に処理され、その結果が扁桃体で価値判断されるという「価値の二次判断系」によって再び判断される。

生理的反応

 例えば今、野外コンサート会場の暗がりで、細くて長いものがゴソゴソと動いたような気がしたとしよう。このあたりまでの粗い、しかもあまり意識にのぼらない判断(「細くて長いものがゴソゴソ動いた」というところまでの粗い情報判断)は視床とせいぜい大脳新皮質感覚野の低次元までの領域でなされたものであろう。

 その結果、扁桃体は「不快」という価値に関する第一次判断を下し、「恐い」「嫌だ」などの感情を生じるとともに、扁桃体から脊髄・自律神経系にそれぞれこの判定に基づく出力を出して、身体の硬直や血圧の上昇などの身体的変化を生じさせる。
 
 しかし、その後の大脳皮質感覚野での緻密な情報処理によって、細長いものがゴソゴソ動いたのは蛇などではなく、誰かが動かした電気のコードであることが明らかになり、この緻密な結果が再び扁桃体で第二次判定にかかられ、われわれは「なあんだ」と思ってほっとする。

 しかしこのとき、すでに第一次判定によって体には顕著な変化が生じてしまっている。これによって汗をかいていたとしたら、それが冷や汗というわけである。

二重価値判構造の生存的意義

 では、なぜこのような価値の二重判断構造があるのだろうか。ルドーたちは、これを生物が危険から生命を守るために備えた安全機構であると考えている。大脳皮質で緻密だが時間をかけて価値判断を行っている間に、危険に見舞われてしまったのでは困る。このために、生物にとって最も重要な危険回避という情報判断のために、粗いが時間的に速い価値判断を行い、すぐ身体的出力へと直結するのである。

「意欲」との関係

 脳が強い刺激としてとらえる情報の第二の種類として、第一次の価値判断で情動が不快と判断しても、大脳皮質の認知情報処理系による第二次判断でその情報に対する価値が再評価される場合がある。例えば、学校にいかなければならないのに、朝起きられない子がいるとしよう。脳では体内時計に従って、セロトニンなどの伝達物質による脳活性調節作用が行われている。

 昼行性の動物である人では陽がのぼると脳活性が高まり、それによって目が覚める(脳が覚醒する)。しかし、朝になっても起きられないのは、一つには朝起きて今日一日こうしうたい、という「意欲」がもてないからだと考えることができる。「意欲」とは、脳全体の活性が高まることによって起こる心理的状態である。

 意欲が高まらないのは、朝起きて行動することに対し価値の一次判断系が価値を認めないので、脳活性が高まらないからである。この場合、学校で自分が受け入れられていない、などの理由によって学校に行くことが快と思えないということである。

疲労や学習効率への影響

 しかし、こういう状態にある場合でも、学校に行かなくては自分が成長できないと強く思って頑張れば起きることができる。本当は(価値の一次判断系では)起きるのは嫌だけれど、価値の二次判断系によって起きざるを得ない、と判断したときである。

 しかし、価値の二次判断系によって行動出力することで学習性を高めるということは、脳をいわば強制的に働かせることになる。この場合の学習効率は、一次判断系で情報を快ととらえて自律的に脳回路を形成するのに比べて低いし、その結果、身体的な系も含めて疲労しやすくなる。

「好きこそ物の上手なれ」

 一次判断系で価値を認めて脳回路を作る場合には、脳が「好き」と認めた情報の処理系を作ることになるので、学習効率は高く疲れにくい。「好きこそ物の上手なれ」である。

熟練とは脳の回路を作ること

 ある仕事に熟練するとは、脳にその仕事のための回路を作ることであり、そのためには一次判断系がその仕事そのものを快であると認めることが第一である。価値の一次判断系で不快と判断したのに、二次判断系で再評価することは「本来は好きではないが、せざるを得ないからする」ということになる。

 つまり「頑張ってする」という強制的行為になる。これでは、その道のプロになるための脳回路を作ることはできない。仕事に取り組み始めて、その途中で仕事そのものの面白さに気付かされ、ますます熟練していくとうことは、日常的によく経験する。その背景に、一次判断系による価値の判断と学習効果の高まりがある。

(「愛は脳を活性化する」松本 元 1996/9/24 岩波科学ライブラリーより引用)